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東京地方裁判所 昭和29年(ワ)11552号 判決 1957年2月27日

平和相互銀行

事実

被告株式会社平和相互銀行は公証人作成にかかる債務弁済契約公正証書の執行力ある正本に基いて原告の動産を差押えた。右公正証書によれば、有限会社米久精肉店は昭和二十八年九月十一日被告より三十六万円を借り受け、借主は昭和二十八年九月十一日から昭和二十九年七月十四日まで、既に掛込んだ額を差引き、三百四回にわたつて毎日千円宛、未掛込金総額三十四万四千円を掛け続けてこれを弁済する。払込を遅延したときは百円につき一日五歩宛及び昭和二十九年七月十六日以後は十歩の割合による損害金を支払うこと、原告外四名は借主の右債務に連帯保証をする。等となつていていわゆる強制執行認諾条件が附されている。そして右公正証書は、原告の代理人原田幸三郎と被告の代理人小島昌司が公証人に作成を嘱託して成立している。

これについて原告は、原田幸三郎に右公正証書作成に関する代理権を与えたこともなく、有限会社米久精肉店の被告に対する債務につき、被告と連帯保証契約をしたこともない。よつて、被告が右公正証書に基いて原告に対して強制執行をなすことを許さない判決を求めると述べた。

被告は、原告は有限会社米久精肉店の支店長であり、右会社が被告より本件借入れをなすことを知り、被告との間に原告の代理人原田幸三郎が本件公正証書をもつて連帯保証契約をしたものであると述べた。

理由

本件公正証書作成嘱託につき、原田幸三郎が原告から代理権を与えられていたどうかの点について判断するに、証拠を綜合すれば次の事実が認められる。すなわち、有限会社米久精肉店は昭和二十六年春頃肉類の販売を目的として設立され、同二十九年十月頃廃業した。設立当時の右会社の代表者は内田良治の妻の父である押田仙吉であり、内田良治が専務取締役で、原告はその頃から右会社の株主であつた。原告と内田良治とは従兄弟で、原告は昭和二十六、七年頃から妻イエ子に肉類販売業をさせ、昭和二十八年頃にはイエ子は原告肩書地でその営業をしており、同三十年頃廃業した。イエ子は営業を開始するに当つて内田良治の援助を受けた。原告自身は二十才前後のとき独立して左官業を始め、爾来十八年余現在まで左官業を続けている。昭和二十八年八月下旬頃内田良治は原告の妻イエ子に対し、「有限会社米久精肉店の代表者をかえることにつき株主である原告の印が要るから、原告の印を貸して貰いたい。」といつて、同人から原告の実印を借り受け、そして内田は、借り受けた原告の印をもつて同年九月四日附で足立区長から原告の印鑑証明を受け、またその頃債務弁済公正証書作成委任状の二、三箇所へ原告の実印を押捺し、これを印鑑証明書とともに被告に交付し、被告は同年九月十一日附をもつて委任状中白地の部分へ必要事項を記入した。

すなわち債務弁済公正証書作成委任状中、印影の成立を除きその余の記載事項は原告の全く知らない事柄であり、右印影の顕出は内田良治が原告の承諾を得ないでかつてにしたものである。

他に原田幸三郎が原告から代理権を附与されたと認めるだけの証拠がないから、被告は原告に対し本件公正証書をもつて強制執行をすることができないものというべきであるとして、原告の異議を認容した。

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